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zoom RSS 最終準備書面 2017.1.16 (もんじゅ西村裁判 地裁 遺品未返還訴訟)

<<   作成日時 : 2017/01/28 17:04   >>

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平成27年(ワ)第3922号 遺品引渡等請求事件
原 告 西 村トシ子
被 告 東京都 外 1 名
準備書面(原告第3・最終)
2016年12月26日
東京地方裁判所民事第33部合議2B係 御中
原告訴訟代理人弁護士  大 口 昭 彦
同       酒 田 芳 人
 本書面では、これまでの原告の主張を整理・補充するため、まず本件遺品返還請求に関する要件事実について整理した上で、本訴訟において明らかとなった本件事案の特質について述べることとする。

1 本件遺品返還請求に関する要件事実について
(1)遺品返還請求の対象物が存在すること
ア 甲1号証記載の対象物について
 本件は、所有権に基づく返還請求訴訟であるところ、原告が主張立証責任を負う請求原因事実は,対象物に関する原告の所有と被告の占有であるが、原告の所有を主張立証する前提として、その対象物が存在することが明らかにされなければならない。
 この点、原告が甲1号証により立証する対象物の存在については、甲1の存在、その作成経緯、被告らが明らかには争わないという訴訟態度等からも明らかである。
イ FAX受信紙について
 原告が返還を求めているFAX受信紙については、警視庁からの報告に基づいて東京都公安委員会が作成した弁明書(甲2号証)の記載から明らかである。すなわち、平成8年1月13日の午前2時30分ころ、「亡成生は、浴衣姿のまま本件ホテルのフロントに現れ、ファックス送信された文書5枚を受け取った」のである(甲2の2頁)。そして、同日午前5時55分ころ、動燃の理事が、故成生が滞在していたとされる803号室内を確認したところ、「室内に亡成生の姿はなく、机の上には、動燃からファックス送信された文書5枚のほか、動燃の理事長、同職員及び妻(審査請求人)宛の遺書3通が置かれていた」というのである(甲2の3頁)。
 したがって、原告が本件遺品返還請求訴訟において対象とするFAX受信紙が存在したことは、証拠に照らして明らかである。
ウ マフラーについて
 原告が返還を求めるマフラーについては、前述の弁明書において、故成生が宿泊していた部屋の室内のハンガーに掛けられていたとの記載がある(甲2の4頁)。したがって、原告が返還を求めるマフラーが存在したことは明らかである。
エ 「’95どうねん手帳」について
 原告が返還を求める「’95どうねん手帳」は、1997年(平成9年)10月30日、原告が、警視庁中央警察署所属の広瀬警察官と面談した際、広瀬警察官が手元の捜査資料を読み上げながら、故成生の所持品にどのようなものが含まれていたかを話した中に含まれていた。この際、原告は広瀬警察官が話した内容を書き留めていたノートの記載から明らかである(甲14)。
 したがって、原告が返還を求める「’95どうねん手帳」が存在したことは明らかである。
オ 小括
 以上に述べたとおり、原告が返還を求める対象物が全て存在することが明らかである。
(2)原告の所有が認められること
 対象物は、すべて故成生の所有にかかるものである。この点について、原告と被告らの間で争いは存在しない。
 そして、原告は、本件訴訟の対象物の所有者たる故成生の妻であり、故成生の相続人である。
 したがって、原告が対象物の所有権を有していることは明らかである。
(3)被告の占有が認められること
ア 被告が対象物の占有を取得したこと
 被告らは、故成生の死亡が発覚した後、直ちに現場に臨場して各種証拠品の保全を行ない、また、故成生の身辺にあった物品を確保したのであるから、いずれの対象物についても占有を取得したものである。
 より具体的に言えば、聖路加病院によって作成された救急センター所持品チェックリスト(甲1)記載の物品は、中央警察署の荒井警察官に対して返却されている。
 また、FAX受信紙およびマフラーについては、いずれも故成生が宿泊していた部屋の中に存在したものであるから、現場に速やかに臨場した捜査機関が現場に存在した証拠または遺留品として領置したとみるのが合理的である。
 加えて、「’95どうねん手帳」は、捜査機関が把握していた故成生の所持品に含まれているのであるから、故成生の死亡に際して現場に臨場し、あるいは、病院への搬送に同行するなどした捜査機関らが、一連の過程の中で占有を取得したとみるのが合理的である。
イ 被告による対象物の占有が失われたとは言えないこと
 被告は、原告の請求に対し、原告の請求にかかる対象物の中で被告において保管しているものは存在しない、仮に一時期占有していたものがあったとしてもすべて返却済みまたは廃棄済みである、などと主張するようである。
 しかし、原告がすでに返還を受けたにもかかわらず、再度本件訴訟において返還を求めるというのはそもそも不合理であり、原告がそのようなことをしなければならない理由など存在しない。原告は、請求に係る対象物については、いずれも受領していない。原告は、事件後から一貫して、捜査機関に対して故成生の死について疑問を抱き続けており、故成生のことを思い出させるよすがとなる数少ない遺品について、その返還を求めてきたのである。
 また、被告は、これまでの主張および証人尋問の中で、故成生の着衣については原告から廃棄を求められたため廃棄したと述べているが、原告が故成生の着衣について廃棄を求めたということなどない。衣類は、故人が直接身につけていたものであり、当該故人との結びつきが最も強い物の一つである。それを、軽々に廃棄を求めるなどということは、それ自体不自然であるというべきである。
 加えて、被告は、すでに原告に返却した旨を繰り返し述べているが、これを証拠立てる資料は一切存在しない。通常、捜査機関が関係者に対して物品を引き渡す場合、手続きの遺漏を防ぐために受領証等を作成・交付するのが通常である。このことは、本件訴訟において証言を行った警察官らも認めているところである。にもかかわらず、本件においては受領証等の資料が一切作成・交付されておらず、それが法廷において示されていないのであるから、原告に対する返還がなされていないとみるべきことは当然である。
ウ 小括
 したがって、以上に述べたとおり、原告の請求にかかる全ての対象物について、被告の占有が認められる。
(4)まとめ
 よって、以上に述べたとおり、原告が請求する本件遺品は、その存在と、原告の所有および被告の占有が認められるのであるから、原告の請求は速やかに認められなければならない。
2 本件訴訟に於いて明らかとなった諸事実と、その意味について
 ⑴ 本件は、直接には、警視庁中央警察署が、2006年1月13日に突然に死去した、動力炉・核燃料開発事業団(以下「動燃」という)の職員(総務部次長)であった故西村成生氏について、変死事案としての業務を行った際に保管していた故人の所持品・携帯物等の返還を求めて、故人の妻である原告が遺族として訴求したものである(改めて言うまでもなく、故人が身につけていた衣服や携帯品等は、遺族にとってはかけがえのない遺品であり、形見である。些かでも粗略に扱われることがあってはならないことは論を俟たない)。
⑵ 警察は、自らが保管した物品を遺族に返還すればよいのであるから(法的には、警察は遺族から預かっていることになる)、事案それ自体は、極く単純であり明快な事案である。本来であれば、そもそも裁判になるのがおかしいほどの事案である。
⑶ しかるに実際には、警察からは、「何を保管したのか」についての厳密な目録の提出はなされていない。また、本件訴訟に於いては、「返還した」旨が主張されているのであるが、しかし、遺族に返還されたことについての確実な証拠(例えば、原告の受領証など)の提出もなされていないし、法廷で証言した警察官が証人尋問に臨むにあたって事前にそうした資料を確認したという事実もない(広瀬証人尋問調書16頁)。
⑷ このような事態はもちろんあってはならないことであり、社会常識・条理に反することは当然であるが、警察官・警察署を羈束している「検視規則」の明文規定にも違背しているところである。
 そしてこれは、何よりも、こうした変死処理をされた故人を侮蔑し、その人格性を傷つけている心ない行為である。愛する夫・父をこのように侮辱され、その人格性を無視軽視された、原告・遺族の苦痛には堪えがたいものがある。
 甚だしい理不尽であると言わねばならない。
⑸ しかし、それにしてもなにゆえに、常識では考えられない、このような理不尽な事態が生じているのか。
 この事態は、市民警察としてあるべからざる杜撰さ・でたらめである事が明らかである。しかし、実は、ここには、単に警察活動の杜撰さ・でたらめとしてだけでは片付けられない問題性が存在しているのである。
 以下にまず、甲11および原告本人尋問の結果、及び甲17ないし甲23(新聞記事、インターネット上の記事)に基づいて、その概要を記す。
@ 故西村成生氏(以下、「故成生」という)は、動燃総務部の職員であった。
A 同氏は2005年当時「動燃」(その後、「核燃料サイクル開発機構」を経て「独立行政法人日本原子力研究開発機構」に組織変更され、旧動燃の業務・権利義務の一切を承継して現在に至る。以下、便宜「動燃」で統一する)に勤務し、高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」関連の業務に従事していた。
B 日本政府及び動燃は、多くの慎重論・反対論にもかかわらず、これを無視し福井県敦賀市に高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を設置し、試験的運転を続けてきていたところ、1995年12月8日、二次冷却系配管から冷却材液体ナトリウム大量漏出の事故を起こした。
 元々、高速増殖炉については高度の技術的困難性が指摘され続けて来ていたのであり(高速中性子を利用する高速炉にあっては、冷却剤は中性子減速効果の少ない必要があり、しかも循環のために流動性が必要なことから液体ナトリウムが使用される。しかし、ナトリウムは反応性が極めて高いために取り扱いが極めて困難であり、その危険性が指摘され続けてきていた)、この指摘・批判の正当性が端的に裏付けられることになったのである。
 (高速増殖炉の開発に着手した国は、日本以外にはフランスなどが存在していたが、いずれもこの困難性に鑑み、開発を中止するに至っていた。 しかるに日本は一切の批判を封じて「もんじゅ」開発に固執してきた。この間、まともに運転できたことは殆どなく、運転機関は僅か250日間にすぎなかった。しかるにその維持費用は何と、1日当たり5300万円を要しており、この20年間において無駄に浪費された国費は1兆円を優に超えている。
 原子力関連施設に対しては、日本の司法の不当な消極性が指摘され続けて来ているが、そこにあってさえ「運転中止」が命じられた希少な施設である。いかに、無理・無駄・無謀な計画であったかが明白である。
 ところが、それでも日本政府は、一方に於いて財政硬直化に悩み、それゆえ社会政策・社会福祉政策関連予算や、文化財保護・文教予算等に対する誤った削減政策を強行しながらも、しかし高速増殖炉開発についてはこれに固執し、多額の血税を濫費・浪費し続けてきたのである。
 「もんじゅ」の不合理性を糊塗し続けることは、そのような日本政府にとってさえもはや不可能となり、このほどようやく、「もんじゅ」の廃炉が決定されるに至った。しかし、今度はその廃炉作業には30年間を要し、必要な費用は、何と3750億円にも達すると見積もられている(しかし、この種の出費が見積額で収まったことは皆無であり、更に膨大な費用が必要となることが必至である。そもそも「もんじゅ」に関する予算見積もりは当初、350億円と見積もられていたという事実が想起さるべきである)。
 しかるに、事ここに至っても日本政府は、その基本政策を改めることはなく、実験炉「常陽」による試験継続と、フランスとの提携による高速炉開発に固執している現実がある。
 日本政府がなにゆえに、ここまでこのシステムに固執するのか。合理的思考によっては、絶対に解釈不能である。
実はそれは、核兵器の原料であるプルトニウムの保持にあると見られている。
 すなわち、福島第一原発の過酷事故を経てさえも日本政府は、その誤った原発政策を改めようとしていないが、その根底には、核武装への強固な意志という問題が存している。それは、原子力基本法を敢えて改定し、核関連技術・産業を安全保障問題と位置づけた事からも明らかである。日本の保守層の戦後一貫した悲願である核武装(日本の技術力を以てすれば、原爆製作は2週間もあれば可能とされている)、そのためには、原料となるプルトニウムが必須であるが、現時点において日本は、この目的からプルトニウムを保持することが認められていない。したがって、原発運転の結果増え続けているプルトニウムをそのまま保持しておくことの正当性を維持するためには、高速炉・高速増殖炉開発という建前を捨てることができないのだと、識者から喝破されている。
要するに、いかなる不合理をも無視せしめているのは軍事問題なのである)。
C しかしてこの事故は、従来からのもんじゅに対する激しい批判に、一挙に火をつけるものとなった。動燃は、この事故の原因・状況・措置・復旧の見通し等について、率直に事実を公表し、国民に報告すべきであった。しかしそれをなそうとはせず、不当に情報を隠蔽しているとの批判が強まっていた。
 とりわけ、事故状況・原因を明らかにする上で必須であるところの、このナトリウム漏出の状況が撮影されたビデオ映像が存在していたにもかかわらず、これを隠蔽していた事実が判明し(事故について記録した映像の存在を秘匿していたが、それが露呈した後にも1次映像を公表するということをせず、殊更に編集した2次映像を作成し公表した)、更に強い批判が湧き起こっていた。
D 故成生は当時、鳥取県の動燃人形峠事業所に於いてウラン残土処理問題の解決(これも、動燃の官僚主義的な不明朗な措置ゆえに湧き起こった現地の住民との間の問題であった)に当たっていたが、動燃の大畑宏之総務担当理事から命じられて、このビデオ隠蔽問題の調査を担当すると共に、これについて一定の広報的業務にもかり出されるようにして従事させられていたので、もんじゅの秘密を最もよく知る関係者の一人として、その見解開示に全国的に各界からの注目が集まっている状況にあった。
E ところが、故成生は1996年1月12日に、ビデオ隠蔽問題について記者会見にかり出され、一定の事実を明らかにしたのであったが、その直後の13日、謎の死を遂げてしまったのである。
F この死は、監察医による法医学的監察も未だ行われていない極く早期の段階から、「自殺」と広報された(原告は午前9時頃、自宅から病院に急行していたタクシーの中でラジオのニュースで聞かされた。監察は午前10時55分であった)。
⑹ 原告は当時、柏市に居住していたのであるが、知らせを聞いて驚愕し、直ちに遺体が収容されていた聖路加病院の救急部に急行し、悲しい対面を行った。
 このときの率直な印象としては、一定の傷は存在していたものの、遺体には破壊的損傷は全くなく、30mもの高所から固い路面に転落死したものとは絶対に思えないものであった。
  ⑺ なお、故成生が宿泊していたホテルには同人の遺品が残されていたはずである。しかし、原告は、同人が亡くなったことを知らされた日、動燃があらかじめ自宅に迎えに来るよう手配したハイヤーにより聖路加病院へと向かった。帰りは、動燃が用意した霊柩車が病院に横付けされており、霊柩車が遺体を乗せたあと直ぐ,ホテルに寄ること無く,高速道路を通って自宅に直行した。このように、原告の移動についても動燃の計画どおりに事は進められたのである。
 遺品は全て中央警察署の捜査員に引き継がれたが、これは事件担当者の職務と考えられる (このような経緯をたどったであろうことは、検屍規則の規定どおりである)。
 ⑻ その後、部分的に一定の遺品は原告の元に返された。
 しかし、そこには大きな問題が存在している。この点については、第2章に於いて後に詳論するが、警察はそもそも、
     @ 遺品には何が残されていたのか、
     A 警察は何を保管していたのか
を明示的に明らかにすることがなかった。
 そして、
  B 何が返還され、原告が実際に受領したのか
も、原告が率直に認めている物以外については、一切証拠がない。
 これらは、本来であれば、明示的に記録に残し、また返還の有無については遺族の受領証が残されているべきであるが、原告が一縷の望みを抱いた本件訴訟に於いても、遂に警視庁はこれらを明らかにすることはなかった。
(驚くべきことに、先述のとおり、本件ではそれらの資料は存在していない旨を、中央署を訪れた原告に対して、荒井係官と思われる警察官が「存在していない」旨を明言した事実が存する(甲24、甲25)。・・・ただし、それが真実であるかは不明である。そもそもそのようなことは警察業務ではあってはならない、ありえないことであるから、荒井係官が虚偽を述べた疑いが強いというべきである)
⑼ なお、原告は、本件訴訟に於いて甲1(預かり品の目録)を提出したが、これは故成生が死亡してからずっと後になって入手し得た、聖路加病院の資料である(どこでもこのような資料を残しているのが常識なのである)。
 すなわち、原告は何としても夫成生の不審な死の真相を究明したいと考え、成生の死去以降20年近く、八方手を尽くして来たのであるが、この資料については、死去後6年後である2002年7月に至って、ようやくに、聖路加国際病院から、他の救急医療記録一綴りと共に開示を得ることが出来たのであった。明確な記録が残されているべきはずの警察によっては何ら明らかにされて来なかった遺品の内容一部が、明確な資料として初めて入手されたのであった。
 これによって初めて本件訴訟提起は可能になったのであった。
⑽ また、被告は本訴訟に於いて、「荒井係官が一定の物品は返還し、その他は、原告の意思を確認した上で廃棄した」旨を主張している。しかしこれは、全くの虚偽である。
  返還については、上記のとおりである。
   次に原告が、遺品について廃棄の意思を中央署員に表明した事実は、絶対に存在しない。
   原告はそれまでに、夫成生との平穏な結婚生活、および子ども2人を交えた家庭生活に充実感を感じて生きてきていた。したがって、それまでに考えた事も無かった夫成生の突然の死、しかも異常な死について、大きな衝撃を受けた。それゆえに、夫の遺品について、収容先の救急病院のその場で、直ちに廃棄を決断するなどということは絶対にありえないことであった。
 一般的にも、家族が亡くなった場合には、様々な善後措置が行われて一段落して、家族の気持ちが落ち着いてから、遺品の整理などが行われ、形見分けや不要物の廃棄などが行われるものである。
 しかるに、遺体の収容先の救急病院の霊安室のその場で、遺族が形見と言うべき品々について、直ちに廃棄の意思を表明するなど、原告の意思に絶対的に反している事はもちろん、上記の社会一般の習俗にも違背しているものである。
 そして、仮に「返却した」と言うのであるならば、原告がそれを受領した旨の資料を警察は要求し持っているのでなければならないが、それも提出されてはいない。ただ、「そのはずである」などとの曖昧な供述しか存在していないのである。
 そもそも、このような物品の預かり等、占有の関係に於いて、警察の事務がいかに厳密であるかの例としては、例えば覚醒剤被疑者の尿の場合がある。
 すなわち、被疑者が自己の尿を鑑定資料として任意提出し、警察がこれを領置した場合には、警察は必ず、鑑定後の尿の処分について被疑者の意見を求めている。そしてそこには通例、「いりません」などと記載されている。尿のような、誰も返還を求めないことが明白なものであっても、処分についての意見を必ず質問し、その回答が明示的に記載されているのである。
 警察では、これほどの手続が日常的に行われているにもかかわらず、遺品については遺族の意見を訊かず、(被告は「訊いた」と言っているのであるが)その回答を明確に書面化していないなどということは、およそありえない、考えられないことである。
⑾ そして、葬儀等も、勝手に原告宅に大勢上がり込んできた動燃の職員らの手によって、遺族は完全に無視されたままに、(田中科学技術庁長官まで列席して)賑々しく挙行され、まことに手際よくあっという間に火葬まで行われてしまった。
 原告ら遺族にとって、まさに「あれよあれよ」という間に事態は進行させられ、火葬と共に潮が引くように動燃関係者が引き上げたあと、遺族らが気付くと、骨壺と遺品の一部しか残されてはいなかったというのが実のところであった。(なお、もちろん原告ら遺族は自分達が動き、自分たちの費用で葬儀を行うつもりであったが、しかし、動燃は遺族に相談もせず勝手に大規模で麗々しい葬儀を、恰かも「動燃葬」の如くに行ったうえで、巨額の費用は全額遺族につけ回してきた。これについては、原告は割り切れない思いを抱かされた。)
⑿ 以上のとおりであって、故成生の遺体については解剖されることもなかった(監察医は解剖もしないという手抜きを敢えて行った)。このことは、故成生の死因について解明する上で大きな障碍となっている。
 また、監察の後は、事実上動燃が遺体を管理しているも同然であり、全てを動燃が主導して、一挙に火葬までことが運ばれてしまったというのが実情であった。
 更に、前記のとおり、衣服や靴その他、故成生の死に方を解明する上で必須の情報が得られるはずの種々の遺品は、遺族には返されないままに秘匿されてしまったのであった。
 要するに、故成生については、あたかも「重要な情報は残さない」ことが基調であるように符節が合せられて、警察・監察医・動燃によってことが処理されてしまったのである。
なお、当時荒井係官の指揮の下に現場に臨場した高野証人の証言によれば、荒井は「変死者は動燃の関係者である」ということを知っており、そのことを意識して捜査に当たったという。そうして彼らは簡単に、「自殺」と決めつけて、通常の警察活動とは異なる活動を行い、以降の捜査を打切ってしまうと共に、遺族らが真実を追究しようとする手掛かりを隠蔽してしまったのであった。
⒀ そして、動燃はこの事態を最大限に活用した。
 すなわち、もんじゅナトリウム漏出という重大事故、および動燃によるこれについての隠蔽工作の解明の過程に於いて、「遂に痛ましい犠牲者が出てしまった」なる、筋違いのお涙頂戴的なキャンペーンが張られた。
 そして、社会的には、このキャンペーンの影響を受けて、大きく盛り上がっていた「事故隠蔽」に対する非難は急速に下火となってしまったのであった。
⒁ こうした一連の経過・情況からするならば、過去の疑獄事件に於いて必ずといってよいほど、キーパーソンと言うべき現場職員の「自殺」問題が発生してきたのであるが、本件もそのような自殺であると装った上での口封じとの疑いが濃厚な、突然の死であった。
 このように見るべき理由の一端は、上記に加えて次のとおりである。
ア そもそも故成生には、自死しなければならないような理由は皆無であった。「遺書」には、組織・同僚に迷惑をかけた旨の詫びの文言がある。しかし、故人は、そもそも動燃に対して、また今回の事故について、さほど動燃に対して忠誠心を有していたわけではなかった事が決して看過されてはならない。遺書の文言は、一見もっともらしく思われるかも知れないが、紋切り型であり空々しいものであるにすぎないのである。
イ すなわち、考えてみれば、故成生は総務部員として、動燃の汚れ仕事(人形峠のウラン残土問題の処理など。本件もまた、まさにそのような「汚れ仕事」であった)や、あるいは後ろ暗い仕事(例えば、東海村での選挙活動など)に主として従事させられてきていた。
  故人はこのことについて喜ばない気持を持ち続けてきていた。本件「証拠隠し問題」についての調査を、上司である大畑理事から下命されたときにも、「なんで俺が・・・」との不満を原告に漏らしていたところである。動燃が誠意を以て行動してさえいたならば、全く必要の無い業務であったからである。不誠実な他のセクションの尻ぬぐいをさせられているのである。
ウ ところで、証拠隠しを行った動燃は、当然ながら厳しい批判に晒された。
ついに、96年1月12日に弁明の記者会見を行うところに追い詰められた。
  ところが、会見を行った大石理事長らは記者からの追及に対してしどろもどろとなる失態を演じた(再度の会見ですら説明しきれなかった)。このため、遂に異例の3回目の会見が設定されるに至り、しかも故成生はあくまでスタッフにすぎなかったにもかかわらず、会見の場にかり出され、説明をするよう命じられた。故成生は、部内で予め作成していたストーリーどおりに説明しきり、役割を全うし動燃の窮地を救った。
エ この経過からするならば、故成生は「迷惑をかけた」どころか、動燃にとっての恩人なのであって、動燃に対して申し訳ないと感じることなどありえなかった。ましてや、責任を感じて自殺しなければならないなどという理由は皆無であった。
オ また、私生活では、長男の結婚式を春に控えており、正月には結婚相手となる相手方も挨拶に来た。長子の結婚はとりわけて、誰にとっても、長いようで短かった子育ての一区切りであって特別の感慨が湧くものであり、強く祝福してやりたいと思うものである。しかるに、このような大事を目前に控えて、何のためにわざわざ、自らと子どもの人生の喜びに敢えて冷水を浴びせるような不吉を行わなければならないであろうか。動燃に対して何も悪いことをしていない、むしろ諸事の後始末に追われ、心中に複雑な気持を抱きながらも、黙々とこれをこなして動燃のために働いてきた故成生が、「申し訳ない」などと言って、長男の慶事をわざわざ汚すようなことをしなければならない理由がどこにあったであろうか。
  以上からすると、この時期・状況に於いて、故成生には自殺するなどという内発的動機・理由は皆無であったのである。
カ 一方、故成生は命じられた調査を行う過程に於いて、必然的にもんじゅないし事故、およびこれについての隠蔽工作に関する裏情報を色々知ることとなった。
  12日の記者会見は何とか乗り切ったことは、動燃にとって大きな節目であった。動燃の危機が去ったわけでは無いが、むしろ、12日の記者会見でのストーリーで押し通すべきであって、だとすると、色々知りすぎてしまっている故成生は、動燃にとっては利用価値が低下したのみならず、むしろ、重要情報が漏出するかも知れない点で、警戒しなければならない存在となったのであった。
  今次、もんじゅの廃炉決定がなされ、これに前後して「もんじゅ問題」が新聞紙上等に於いて詳細に取上げられるに至った。これらの記事を見るにつけ改めて驚かされるのは、もんじゅプロジェクトに投下され動く資金の金額の極端な大きさである。零細な庶民には到底現実感覚が湧かないほどの巨額性である。当然、この巨額の資金に絡む利権も大きなものとなる。
  しかしてナトリウム漏出事故は、高速炉開発に於けるその本質からして、この大きな利権の当事者である動燃にとっては、絶体絶命の危機であった。もしこれの処理に失敗すれば、計画の中止・動燃の解体にも及びかねない危機であった(今般、20年遅れでこれは顕在化した。長年に亘って一貫して不祥事が絶えない動燃に対しては、原子力規制委員会がもんじゅ運営当事者としての能力を見限り、他の団体に移管する事を要求するに至った)。当時、まさに動燃としては、この大きな利権に衝動されて、その防衛のために組織の延命を賭けてなすべきをなさねばならない状況にあった。
  そのような状況・事態の進展に於いて、上記のような立場にある故成生は、動燃にとってむしろ、微妙ないし危険な存在になっていたのであった。
(15) まとめ
  以上によると、本件遺品問題に於ける不合理は、故成生に対する関係機関による殊更な「自殺」扱いに起因している。
  そして、この理不尽な「自殺」扱いは、当時のもんじゅ・動燃を巡る大きく強い政治力学の磁場によるバイアスの中で行われたということが、決して看過されてはならない。
3 本件訴訟に於いて明らかとなった諸事実の位置付け
   本件訴訟の審理に於いて多くの事実が明らかとなったが、その中で、とりわけて重要と思われるものの一端を示すと以下のとおりである。
 ⑴ 「故成生は自殺」説の不可解性・非合理性
@ 本件当初から、「西村成生氏は自殺した」とマスコミ・警察・動燃等は簡単に決めつけ、極く早い時期から社会にそのように発信した。
A しかし、以下に見るように、「果たしてそのように言えたのか?」との疑問がいよいよ大きくなってきている。
B 甲26号証(大越孝一作成の意見書)
ア 甲26は、応用物理学関係者が、「本件の如くに、地上30mの高さから重さ70kgの人体が固い地上に落下した場合には、いかなる力が作用するか」を検討したものである。
  これによると、70kgの人体が固い地上に落下した場合、実に20580Jもの大きな力が作用するとされている。
  これは例えば、革製安全靴の性能についての工業試験に於いて行われているところの、エッジの着いた23kgの鉄製プランジャーを30cmの高さから落下させた場合の衝撃力(16・7J)と比較した場合、1232倍の衝撃力が人体には加わるということである。
  安全靴はその使途からして高度の堅さを有していなければならないが、その性能試験に於いて加えられる衝撃は6・7Jであって、これをクリアすれば合格とされているのであるが、30mの高所から70kgの人体が落下した場合には、その1232倍の強烈な衝撃力が加わることになるのである。もちろん、安全靴と雖もこの衝撃には堪え得ないことは言うまでもないが、人体(骨、ないし皮膚・筋肉などの軟部組織がどうなるかは言うまでもないところである)。
イ このような場合には、人間の身体にどのような損傷が発生するのか。
  容易に想像されるとおり、壊滅的な破壊が生ずる。その具体例が標準的な「法医学」書から紹介されている。いずれも、予想されたとおり無慙な状態となっている(5頁)。
ウ しかるに、聖路加病院に残されていた故成生氏の遺体には、そのような破壊的損傷・傷跡は皆無である。全く不可解というほかない。
C 頭部・顔面等の破壊的損傷の不存在について
ア 上記のとおりであるのであるが更に、不可解であるのは、頭部・顔面等に破壊的損傷が存在していないことである。
イ 30mの高所の有する潜在的エネルギーの大きさ、70kgの物体がそこから落下して固い路面に激突した際に受ける衝撃の大きさは、上記「B」のとおりである。この場合、その最初の着地点の人体が破壊的損傷を受けることは当然である。
ウ ところで更に考えなければならないのが、2次的衝撃の問題である。
@ 飛び降り自殺の場合には、頭部からダイビングしてゆくということは考えがたく、おそらくは足部を下に飛び降りるであろう。この場合、30m程度の高さからの落下に於いては地面に至るまでの時間は2・2秒ほどであるから、そのままの姿勢で足から地面に激突することになる。
A しかし、その直後に2次的運動が起こることが明白である。すなわち、人体は細長い棒状をしているから、落下した体が直立したままで終結するということはありえず、次に必ず、接地点を中心とする高速の回転運動が発生する。この場合には、どこが接地点であったとしても、末端に位置している重量物である頭部に、落下してきた速度に相応した莫大な回転運動エネルギーが作用することになり、この部分が地面に激突することは避けられない。
B また、頸部は可動性に富んだジョイントであるから、この回転運動のエネルギーを受けて重い頭部が3次的回転を起こすことにもなる。ないしは肩の部分で接地した場合でも、2次的に頭部が地面に回転し激突することが不可避である。
  その場合、頭部のどこが激突するのか、それはケースによって異なるであろうが、何らの緩衝物も存在していない頭部・顔面等には直接に固い平坦な地面が作用するのであり、かつその力は非常に大きいから、無慙な破壊が生ずることになる。甲26に引用された法医学書に掲載された写真は、よくこの機序と結果を示している(なお、この点については、法医学者である吉岡尚文氏作成の「回答書」(甲4)の最終頁に頭蓋骨骨折の問題として論じられている)
C なお以上は、通常考えられる足からの飛び降りの場合でさえもとして考察したが、もし頭部からダイビングしたような場合であれば、頭部がより直接的な破壊的影響を受けるであろう事は、言うまでもないことである。
D しかるに、30mの高さから飛び降り、タイル張りの地面に激突して死亡したとされているにもかかわらず、故成生氏の遺体には、そのような壊滅的な傷が皆無である。これは、全く不可解である。そのような傷は、頭部・顔面にも無く、その他の部分にも存在していないのである。
これは、故成生が飛降り自殺したとの見解における大きな不合理である。
D (なお、これまで落下体への影響の面から考察してきた。しかし、落下体が激突する地面側も影響を受けることが避けられないはずである。場合によれば路面側にも一定の損傷ないし一定の痕跡が残ると考えられる。しかしこれについての実況見分の結果は未だに明らかにされていない。
  或いは、路面の損傷とまでいかなくとも、警察見解では投身から救急隊が到着するまで、かなりの長時間路面に放置された状態にあったのであるから、流れ出した体液による路面の汚損は必ず存在したはずである。警察が8階からの投身と言うならば、落下地点に残っているところの、そのような痕跡について正確な記録を残さなければならない。これについては、実況見分が行われたのであるから、生々しい落下現場の状況が証拠として保全されているはずであるが、しかし現在に至るまで警察からそのような資料が一切出されてきていない事は、全く不可解と言うほかないであろう。)
E 監察医は、多数の骨折を確認したとしている。これは、高所からの転落の場合にも生ずるであろうが、しかし、別にそれに限られるわけでは全くなく、殴打・圧迫等の外力によっても生ずるのであるから、これを以て「高所転落」と決めつけることは、全く非法医学的思考と言わねばならない。
  そもそもこの監察医は、警察の「飛び降り」であるとの見解を直ちに鵜呑みにして、犯罪捜査ないし事件性判断にとっての不可欠の作業であるはずの解剖も行ってはおらず、そのまま「飛び降り」と「死体検案書」にも記載している体たらくであって、全くその役割を果たしておらず、お粗末極まりない監察業務との譏りを免れない。
F そのようなお粗末さは、深部体温計測問題にも存する。死体の検案に当たっては、死亡時刻推定に於ける最も貴重なデータとなるところの死体の深部体温を計測するのは、極めて重要であり、かつ、極く基礎的初歩的な作業であるが、これすら行っていないという有様である。
  そして、「ホテル屋上(8階)非常階段踊り場より地上に転落」などと、自身が何か確認したということも全くないままに、警察官から聞いたところをそのまま記載しているのである。
  また、「本屍は、福井県原発問題で悩んでおり」などとも記載している。監察医は、何を以てこのようなことが言えたのか。
  その杜撰さは、お粗末を通り越して犯罪的であるとさえ言わねばならない。
G 甲4号証(医師 吉岡尚史作成の意見書(「回答書))
ア なお、本件は監察医の業務懈怠のために、本来備わっているべき重要なデータが存在しない事になってしまったために、実体解明作業上種々の困難に逢着してしまっているのであるが、しかし、そのような状況にあってもなお、練達の法医学者が、聖路加病院の診療記録に着目して、極めて重要な指摘をされている。それは、故成生の死亡時刻の推定の問題である。
イ そもそも本件の監察医は「死体検案調書」に、「死亡の日時」として「平成8年1月13日午前5時頃」などと記載しているが、しかしこれは、「死亡の状況・死亡までの経過等」欄と同様に、単に警察官からそのように聞いてそれをそのまま記載したことが明らかである。
ウ しかし、そもそも監察医制度は、単に死亡の事実の確認のみならず、変死体について法医学的検証を行って、刑事警察活動上有意の情報を検知し、有効な捜査の端緒を発見するところに、その存在意義があるはずである。それゆえ仮に、警察官の言う情報をそのまま転記するだけでは、監察医の存在意義は存しないと言わねばならない。
エ 変死体について、死亡時刻の推定をなすことは、遺体の状況の認識と共に極めて重要である。本来であれば、自ら遺体の深部体温を計測し、死亡時刻の推定をなすべきである。そして、警察官の情報は、それとして尊重はしつつも、法医学者としての見識・技能から、できるだけ正確な死亡時刻の推定を行うべきである。そのような作業を行ってこそ、わざわざ法医学者が出向いて関与する意味が全うされるのである(もし、推定時刻が大きく食い違えば、「5時頃死亡した」となす警察の検屍結果に合理的疑いが生じ、一定の犯罪の可能性をも検討しなくてはならなくなるのである)。
  しかるに、本件では監察医は、深部体温を測るという極く簡単で初歩的な作業すら行わず、単位警察官が「午前5時頃云々」と言うのを聞いて、それをそのまま記載したのである。ここではもちろん、法医学者として独自の推定作業など行われてはいない。
  全くお話にならないお粗末さと言わねばならない。
 (なお、故成生が動燃関係者であるということを監察医は事前聞かされており(このことは、「福井県原発問題で悩んでおり」などという記述にもはっきりと露呈している)、この段階で監察医が中央警察と処理方針について同調し、殊更に簡単な監察で済ませた可能性が大である。)
オ 吉岡尚文医師は、本件に於いて監察医が解剖をしなかったことを厳しく批判されつつ、聖路加病院のデータをもとに、法医学上ほぼ確立していると言える考え方に則って、死亡時刻の推定を行っておられる。それによると、
  「1996年1月13日午前2時を中心にプラスマイナス1時間程度」
 との推定結果が導出されている。
カ この数字は、本件に於いて極めて大きな意味を有している。
  なぜなら、警察側の本件についての見解では
「成生は、
a 2時30分頃フロントに下りてきて動燃からのfax受信紙を受け取った(最後に生存が確認された)。
b 3時10分、3時40分、3時50分に1通ずつ遺書を書いた。
c その後5時頃飛び降り自殺した。」
 というものであるからである。
 しかし、これらは一部を除いて(午前3時の場合であれば、fax受信紙受領のみ可能になる)、法医学上の知見に基づく推定と大きく牴触していることが明らかである。すなわち、吉岡医師の結論によれば、故成生の死亡時刻は午前1時〜午前3時とされているからである。
 そうすると、「午前5時頃飛び降り」などという中央署見解が成り立たないことは明らかである。更には、午前3時台に順次作成されたという3通の遺書も存在し得ないこととなる。
キ 本来、事件性の有無という重大な事柄の判断については、もっと慎重であるべきであった。
  しかし、中央警察署は、まず大畑理事からの情報提供によって「動燃関係者」であるとの情報が先行したことから、「自殺」として処理するという方針で一貫したのであり、監察医も上記「カ」のような問題が惹起されてくることを忌避して、簡単に警察の言うとおりですませてしまったのである。
  なお、ここで看過されてならないことが存する。それは、当時は大野監察医の検案調書以外には、何一つとして遺族側には公表されてはいなかったという事実である。すなわち、今でこそ、原告らは聖路加病院のデータに基づいて厳密な法医学上の議論をなすことが一定可能となっている。しかし、聖路加病院から原告が診療録の開示を得られたのは成生が死亡してから6年後のことであった。真相究明に向けての原告の必死の粘り強い努力が無ければ、聖路加病院のデータも明らかとはならなかった。そうすると、医学情報としては大野監察医のでたらめな検案調書しか手元にはなかったのであるから、真相究明作業は不可能であったのである。
  このような事態を前提とし、予想した上で、中央警察署と監察医による本件の処理方針が決定されていたのである。
  しかるに彼らにとって全く意想外なことに、診療記録によるデータや甲1が原告側に明らかになってしまったがゆえに、本件隠蔽行為の実態が明らかになるに至ってしまったというわけなのである。
H 遺書の問題(自殺認定資料としての不合理性)
ア 中央警察の係官の誰が、いつ、何を根拠に、「自殺」「事件性無し」と決定したのかは、明らかにされていない。しかし、極く初期の段階からそのように決めつけて、これを前提に事態の処理に当たっていたことは明白である。
イ これについては、「遺書」の存在が論拠として持ち出されてくるものと思われる。
  しかし、ここで確認されなければならないことがある。それは、
   「遺書」が本人の真意に基づくものであり、
   かつ、 本人が自筆で作成したものであるのかどうか
 という、当然の重要事実について、警察は「自殺」と発表した時点では、これを確知すべき情報を何も持ってはいなかったということである。
  遺書があれば、自殺かと疑うことは可能であろう。しかし、それ以上に「遺書があるから自殺」などと安易に決めつけることの出来ないことは、改めて言うまでもない。
  しかるに本件では、筆跡の問題や書き癖等々から、成生氏の作成したものに間違いがないかどうかの検討(その場合、筆跡や書き癖を身近にいて熟知していた原告の意見は決定的に重要であるはずである。しかるに原告は、このことについて警察をはじめ諸関係機関等から意見を求められたことが全くない。だが、それでありながら、早々と「自殺である」「事件性はない」との決め付けがなされ、以降、全てがこれを基調として、一挙に事態は進行させられていったのである。)
ウ そもそも、本件の第一発見者は動燃の大畑理事とされている。ここから、「動燃職員」「自殺」「もんじゅで悩んでいた」などとの情報(動燃職員であるという以外は何ら裏付けの無い不確実なものである。別に、「悩んでいた」などという事実はない。
  動燃が不合理な尻ぬぐいばかりをさせることに対する不満こそあれ、だからといって、別にそれで死ななければならないことはない。動燃や大石理事長に何のために詫びなければならないのか・・・・。「遺書」とされている文書の内容には大きな問題性がある。
  しかし、大畑理事を淵源とする一方的情報が、真先に中央警察署員に注入されたことにより、処理方針が決定されたものと見ることが出来る(「落下現場」の実況見分が実施されているが、このときには荒井係官は「動燃職員」を前提に警察活動をなすべき旨の指示が部下になされている)。これが更に監察医に伝播していった経過については上に述べた。
 このような構造に徴するならば、結局、淵源は大畑理事・動燃ということが言えるのであり、故成生は動燃の生き残り策貫徹のための犠牲とされたということが出来るのである。
E 甲第16号証(大越「意見書」)
ア 遺書の有する根本的問題性は上記のとおりである。
イ ところで、本件にあっては、中央警察署が、故成生の死を拙速安易に「自殺」ときめつけたために、以降の手続が非常に杜撰なものとなってしまい、本人の名誉・遺族の心情や遺品に対する正当な権利が甚だしく害されるという遺憾な経過となっているのであるが、そのような決め付けの理由として当時から援用されているのが、故成生が書いたとされている3通の「遺書」の存在である。
  しかし、これらの内容・形式等に於いて、真実このとおりに成生が記載作成したとするには、余りに多くの疑問が存在している。このことを遺族は、直後から問題にしてきた。
  そのうち、遺書に記載された年月日・時刻の数字は、とりわけ疑念を呼ぶものであった(そもそも、遺書に時刻まで記載するというのは、まことに異例異様である。しかし、これは成生の死亡時間推定作業のうえで、大きな意味を持ちうる。即ち、当該時刻には成生は生存していたとみなしうることから、敢えて記入されたと見られるべきものである)。
  しかして、この異例異様にも記入された時刻について検討すると、本件遺書の問題性が浮かび上がってくる。以下、これについて述べる。
ウ 記載されている数字の問題性
a 「遺書」に於けるこれら一連の数字には、時分の書き方に於ける故成生     特有の書き癖が見られないこと、
および、逆に、
b 「遺書」には、故成生には見られない特有の書き癖が存在している(数字記入に先立ってまずペンが於かれた跡がドットのように残されていること。
など、一見して明らかな、言わば定性的とも言いうる相違が看取されるのであるが、今般、この数字自体について、故成生が記載したことが確実である資料(住所録)との対比によって、「遺書」の数字の筆記者が成生自身とは異なることが、甲16によって明らかになった。
エ 具体的な鑑定方法は、鑑定書自体に記述説明されているのであるが、要するに、本証拠にあっては、同一の数字について、故成生が記載したことが確実なものと、「遺書」によるものとについて、鑑定者が一定の数学的分析を加え、その比照を行うことによって、その重要なポイントに於いて有意の差違が存在していることが明らかにされたものである。
オ これによって、「遺書」の作成の真正性・真意性に大きな問題のあることが証明されたのであり、結果、この「遺書」を根拠に「自殺」ときめつけて、簡易迅速に事案を処理した中央警察の捜査の違法不当性が明らかにされたのである。
 ⑵ まとめ
 したがって、本訴訟において明らかとなった諸事実の位置付けからすれば、「故成生は自殺」説が不可解かつ非合理であることは明らかである。
4 結論
 よって、以上に詳述したところによれば、原告に対する被告の反論は採るを得ず、原告が返還を求める遺品は全て未だ返還されていないものというほかないから、原告の請求は直ちに認められなければならない。

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最終準備書面 2017.1.16 (もんじゅ西村裁判 地裁 遺品未返還訴訟) もんじゅ西村裁判Monjyu Tribuanl/BIGLOBEウェブリブログ
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